レベルの高いひつまぶし

Après nous le déluge

再就職2か月

2010年の4月に突然仕事を失った。

それまで勤めていた某区の施設の委託先が、急に別の団体に代わってしまい投げ出されたのだ。幸いなことに付き合いのあった別の区の同種施設のスタッフの職を紹介して貰うことができたのだが、そこは最初から週3回の勤務で、ということだった。

そこで、自分が関わってきた別の団体の有給スタッフとしても雇って貰った。

8か月ぐらいはなんとかダブルワークで頑張ったのだが、後者の団体の方に、ボランティアで関わっていた時には見えなかった、構造的な矛盾というかなんというか、ベースに運営側と職員側の不信があって、勤務日も勤務時間も増やして給料は下げます。何かあったら責任とってやめてもらいますからね、と変更した雇用契約書をちらつかせながら、じゃあすぐにフルタイムで来てください、といわれ体が拒否反応を起こしてしまい行けなくなってしまった。もう一つの区の施設の方の仕事は、それこそ這う思いで通い、なんとか続けることができたけどね。

そのうち東日本大震災が起き、やがて世間的な落ち込みが徐々に戻ってくる中で、だんだんと自分のペースを取り戻し週3回の仕事を続けていった。時間ができたので当時茨城の介護付住宅に住んでいた父に会いに行ったり、ちょこちょこ近場を旅行したり、合間に知り合いに頼まれたパソコンサポートをしながらなんとか暮らしてきた。

昨年の冬に父が亡くなった。その1か月前に父を姉と2人で旅行に連れて行くことができた。最後に家族水入らずの時間を過ごせたのは、準備の時間を含めて、周りの協力ももちろんだけど、結果的に時間があったからだと思う。

父が亡くなった後、田舎に1人残った母のサポートができたのも、これで仕事が忙しかったら、ここまで丁寧にはできなかっただろう。

しかし段々と金銭的に苦しくなってきて、どうしようかなと思っていた時に、また別の自治体の同種施設のスタッフにと声がかかった。渡りに船か地獄に仏か強盗に襲われたときに善きサマリア人かという感じで就職した。

丸4年ぶりのフルタイムは正直なまっていた体にはちょっと大変だったけど2か月過ぎてようやく慣れてきた感じだ。

今やっている仕事も合わせると9年目になる、これからの過ごし方が、この仕事でプロになれるかなれないかの分かれ目だな、と思う。