レベルの高いひつまぶし

Après nous le déluge

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読んで欲しい文章

僕自身は社会について訴えたいことなんてないのだが、

実は社会について訴えている人の話を聞いたり、文章を読んだりするのは嫌いではない。

 

湯浅誠という人がいる。

世間的には年越し派遣村の元村長が一番分りがいいのかな?

東大まで行って、ホームレス支援にのめり込んで、

支援組織を立ち上げて、あの派遣切りがひどかった2008年の暮れに、

滝廉太郎みたいな丸メガネをかけてハンドマイクで叫んでいた(ようなイメージのある)人だ。

 

その人が3月に内閣府の参与を辞任した。

挨拶文が彼のホームページに載っている。

【お知らせ】内閣府参与辞任について(19:30改訂、確定版)

http://yuasamakoto.blogspot.jp/2012/03/blog-post_07.html

 

非常に示唆に富んだ文章だ。

ちょっと長いが、もう読んでみてください、としか言いようがない。

感心した個所をピックアップして「気の利いたワンフレーズを探す」ことになってしまうのは湯浅さんの本意じゃないだろうから。

 

男性正社員片働きモデルを固定化する日本型雇用と、高齢と障害のみを社会保障の対象として、子育て・教育・住宅については高い私費負担を前提にする日本型福祉社会とのセットが支配的で、そこから排除された人々を自己責任論という名の社会的無責任論で片付けてきた日本社会の崩壊過程という現状認識。

以前から、この「標準的なライフサイクル」に当てはまらない人たちはいたが、90年代以降、国も企業も余裕なく傘を閉じていった結果として、家族の支える力も弱っていき、傘の外で雨に濡れる個人・世帯が増えていった。

 

端的に言って、私は税の問題をもっと簡単に考えていました。
「なんとかしようとすれば、なんとかなるはずの課題」と。参与としての2年間は、それが「なんともならない」ことを知った2年間でもありました。その点で「なんとかなる」と言って政権を取り、そうはならなかった民主党と同じです。という自己洞察。

 

消費税を受け入れるから、あんたたち(富裕層や企業)ももうちょっと保険料など負担してくれ」という持っていき方があってもいいのではないか。そちらのほうが迫力があって、状況を変える力も生まれるのではないか。という覚悟。

 

巷の自己責任論にもっとも不満だったのは、それが社会の構成員としての、市民としての、主権者としての自覚を伴わない物言いだという点にありました。誰かを排除する社会に住みながら、自分もその構成員の一人でありながら、その自己に対する責任の自覚なく、自分とは関係ない誰か、とりわけ排除を受けている誰かの責任に帰して、自分は無関係だと考えるその無責任さに腹が立っていました。その意味で、いわゆる自己責任論は社会的無責任論であり、私が「貧困は自己責任ではない」という言葉で訴えていたのは、「本人の人生には一点の曇りもありません」ということではなく、「貧困は社会的無責任論では解決しない」ということ。

 

解決すべき課題があるときに、それを誰かの責任にすることで自分は免責されるとする思考が嫌い。

 

僕が嫌だったのものを明確に言葉にしてくれました。

一言でまとめちゃうのは失礼だけど、やっぱり突っ込みと批評は全く別物ですね。

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